ホラゲさんのこと①
大学時代にジャズのサークルでラッパを吹いていた。
そのサークルというのがやたらと伝統的な奴で、「ゴトシ」と称する演奏の営業をして年に数百万稼ぎ、そのお金で毎年銀座の「ヤマハホール」で国内外からゲストを招いて「リサイタル」を行う、という仰々しいものだった。
ジャズといっても、ニューオリンズスタイルの古いもので、クールなモダンジャズではない。基本的な編成は、トランペット、クラリネット、トロンボーン、バンジョー、スーザホン、スネアドラム、ベースドラムの7人で、演奏しながら移動できるのが「売り」になっている。
「ゴトシ」(「仕事」の「ジャズ用語」。なんでもひっくり返す。「コードレ」、「ミーノ」、「ビータ」、「シーメ」…)の相場は1人1万、フルバンドでだいたい7人なので、「ラーギャ」は総額7万程度。個人には入らず、サークルの運営費に充てる。
俺はそのサークルの「ジャーマネ」(マネージャー。もういいな。普通に書こう)として、営業部長のようなことをやっていた。携帯電話がそこまで普及していない時代で、学校の近くの「喫茶ぷらんたん」に交代で入り浸り、コーヒー飲んでタバコを吸いながら客からの電話を待つ。あの頃はタバコを吸わない奴は変人扱いされてたな。
ホラゲさんから最初に電話がかかってきたとき、ぷらんたんには部員が誰もいなくて、ママさんが電話を取って俺に伝えてくれた。俺は折り返し電話したとき、間違えて「ホゲラさんいらっしゃいますでしょうか?」と、やたら丁寧で最悪の応対をしてしまった。
ホラゲさんはイベント系人材派遣会社の社長だった。彼が持ってくる仕事はどれもなかなか過酷なものが多かった。売れない芸人さんといっしょに一日中パチンコ屋の新装開店のPRをしたり、商店街のお祭りのパレードで寒空の下を延々歩き回ったり。
しかも、とにかく、値切ってくる。7万円に交通費の「相場」のところ、ホラゲさんは5万以上は出そうとせず、交通費も浮かせようと、自分の車を出してくることが多かった。
そして、名前より中身がよっぽど「変」な人だった。