人のことを恥ずかしがるな

「で、結局どこの中学校に行くって?」と俺が尋ねると、妻は「それが教えてくれないんだ。こっちから訊くわけにもいかないし。」

それで合点が行った。そりゃ家出もするさ。

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妻とは職場結婚なので、共通の知人が多い。知人といっても俺はまず職場で人と話したりはしないのだが、家族絡みでの付き合いはどうしても発生する。妻の元上司の女性、Tさんにはうちの息子の1歳上の男の子がいて、「ママ友」的に仲が良く、Tさんの住む吉祥寺の辺りで何度か家族同士で遊んだりした。埼玉の真ん中からわざわざ出向くのには若干骨が折れたが、こちらのテリトリーに入って来られるよりはまあ、マシだ。うちに来るなんていったら目も当てられないし。

Tさんの息子のリョウ君は、線が細くておっとりした感じのおとなしい男の子だった。こちらから話しかければ何でも答えるが、彼からなにか話しかけて来ることはない。もう会ったのは5,6年前なので顔も覚えていないが、繊細な印象を持っていた。

俺たちの仕事は3年に1回程度「人事異動」が行われるので、妻とTさんとは一旦疎遠になったようだが、息子が中学受験をしようかというときに、1歳上のリョウ君がいて中学受験をさせるというTさんに相談をし、情報交換をしていたようだ。といっても、こちらが一方的に情報を享受するだけだが。


この年度末、受験の結果が出る頃になって、俺は妻にリョウ君はどうなったのか尋ねてみると、知らない、という。最近会っていないのでわからない、と。
ふうん、まあ、そんなに仲良くもないからそういうもんかな、と思っていた。

いや、実は断片的に、リョウ君が大変だったってことは耳にしていた。ちょっとその話の出所がその、あまり妻に大々的に言えない所だったので、黙っていたのだが。まあその、職場が同じだといろいろあったりするのだ。


で、昨日、やっと、妻とTさんが昼食を食べに出かけ、話を聞いてきた。

リョウ君は受験の1か月くらい前からちょっと「おかしく」なってしまい、学校へ行くと家を出ても登校せずに近所をブラブラしたり、電車に乗って立川あたりに住むTさんの夫の実家に行って「匿って」もらったりするようになったらしい。その度に学校から連絡があって大騒ぎで、Tさんと夫の関係もぎくしゃくし、受験もやめようか、ということになったが、リョウ君がやっぱり受けたい、ということで、どこかの私立中学校にはどうも合格して、行くらしい、ということだった。

それで改めて、冒頭のように妻にどこの中学校に行くのか尋ねたら、教えてくれないという。


つまり、Tさんはリョウ君を「恥じて」いるのだ。

 

「いい中学」に入れなくて「恥ずかしい」から、「教えない」というのだ。

 

それってかなり、ひどい話だぜ。

 

Tさんはとても「前向き」で「優しい」人だ。いわゆるスパルタ教育ママ、みたいなタイプでは全くない。ただなんだろう、こう、少し、なんていうか、よそよそしい優しさのようなものを感じることはあった。なんていうかな、可愛い犬に呼びかけるみたいな、そんな感じ。「よくできたね~。偉いね~...。」

子どもは親の感情を感じ取る。それはもう、間違いない。リョウ君はTさんに、己の勉強のできなさを周囲に恥じられていることを感じ取っていたに違いない。中学受験なんて、事前の模試でもう、受けられるレベルは決まってしまう。受ける前から既に「恥ずかしい」レベルだったのだろう。Tさんにとっては。

この残酷さは、親子共々、その暴力性を自覚することが難しいところが厄介だ。「厳しく叱責する」のであれば、叱責している方もされている方もその自覚があり、それに対する「覚悟」もできる。しかし、「よくできたねえ」「がんばろうね」「やればできるよ」なんて言いながら、子どもの無能を憐み、そして周囲にその存在を恥ずかしがる。そこには親子の間の目に見える軋轢はなくそれが逆に深い溝と傷をつけていくことになる。

Tさんはずっと、子どもに悪いことをしたという認識を持たずにいるのだろう。これはもう、他人が踏み込む領域ではない。

救いがあるのは、リョウ君が「壊れた」ことである。違和感に気付いて、きちんと声を上げた、反抗したことである。


彼の人生に幸あれ